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前回の投稿から大分間が空いてしまったが、この23、24日と、越後妻有のアートトリエンナーレに泊まりがけで行ってきた。大地の芸術祭として有名な、3年に1度の現代アートの祭典である。前から観たいと思ってはいたのだが、なにしろ広い場所に点在しているし、1人ではなかなか行く気になれなかったのだ。今回は写真関係の知人がツアーを企画してくれたので、その気になったのである。結果は、行ってほんとに良かった!好きな作品もそうでないものも含め、どこまでも広がる青々とした田園、豊かに実る稲穂、森林の深い緑や古い木造の建物と一体となったアート作品には、美術館やギャラリーで鑑賞するのとは全く別の味わいがある。そして無名の新人の作品も世界的にトップクラスのアート作品も、同時に鑑賞出来るというところがまた良い。個人的には、大巻さんの作品がとても良かった。暗闇の中、下から次々と上がってくる美しい球形が煙となって消えていくというもの。なぜか、いつまでも観ていたい気にさせられる。今回観たのは、実はごく一部に過ぎない。全部制覇しようと思
えば1週間は必要でしょうね。でもいつかやってみたい。そしてさすが米どころだけあってご飯はめちゃくちゃ美味しく、新鮮な野菜果物等、1泊とはいえ全てがある実に贅沢な旅だった。ここで得たものを体内に蓄積し、更なる向上を目指したいものだ。ガイドとしてずっとお付き合い下さった薮田さん、バスのドライバーさん、このツアーの企画、主催者の岩波さんに感謝!ほんとに有り難うございました。緑豊かな越後妻有から帰ってくると、東京の緑の少なさを痛感する。そして早くも涼しくなっている。夏は終わった。トリエンナーレの旅と共に。次は何をご報告出来ますことか…。

プラハから戻り、ちんどん屋の音楽で目覚めてから10日が過ぎようとしている。全く早いものだ。お陰で時差ボケの頭もすっかり元に戻った。東京は気持ちの良い秋のシーズン。フィルム現像しやすい気温なのは誠に喜ばしいことだ。こうして涼しくなり空気も乾燥してくると、こちらの気も晴れ晴れとし、体調も上々。今月中に、フィルム現像とベタ焼きを是非とも終わらせたいと思う。コマ選びやプリント作業には時間も掛かることだし、余裕を持って取り組みたいのだ。 そして時折、脳裏に蘇る旅の断片、空気、匂い。過去と現在が交錯する瞬間。ボヘミアの残り香を身に纏う時…現像開始のベルが鳴る~。

来るまでは長く、来てしまえばあっという間、でもなかったが(笑)日は当たり前に過ぎ、今はヴァーツラフ・ハベル国際空港で搭乗待ち。昨日最終日には、著名なチェリストだったゼレンカが住んでいた建物や、ベートーベンが宿泊した元ホテルで今はアパートメント、そして3つのヴァイオリンの紋章のある建物などを見た。更にぶらぶら歩いていると、偶然ヨセフ・スデクのアトリエを発見!何やら写真展をやってるらしい。ブザーを押し開けて貰い、重い扉を押して中に入る。もう2つ3つの扉を開けて中庭に出るが誰もおらず、どちらに行けばいいのか…このまま外に出られなかったらどうしよう?と不吉な想像が頭をよぎる(笑)が無事、すぐ横にある小さな庭のあるアトリエに辿り着く。思っていたより質素なバラックのような2間ほどの家だった。スデクの展示は夏だけだそうで、残念ながら2週間前に終わってしまっていた。こんな風に思いがけず、興味あるものに行き当たってしまうのがこの街の面白いところ。又来たいものだ。ではヘルシンキ経由で東京へいざ行かん(?)

今日はいくつか地方の城巡りをしたけれど、室内は撮影禁止の場所ばかり…労多くして報いなし、という結果にムカついたので(笑)夜は弦楽室内楽のコンサートに行く。映画「アマデウス」の撮影に使われたという場所での演奏。弦楽四重奏は日本でも普通にあるが、ここプラハでは弦楽五重奏、つまりコントラバスが加わるのがユニーク。そしてバッハの「G線上のアリア」からスメタナの「モルダウ」、果てはベートーベン「運命」まで、何でも弦楽器5本で演奏してしまうところが凄い!そういう編曲がちゃんとあるわけで、さすが弦の国は違うのだ。今夜はプログラムにビバルディの「四季」が入っていたので、その時だけソリストが加わり6人の出演者となる。しかしチェコの演奏家はどうしてこうもさまになるのだろう!見てくれだけでなく、演奏の内容が実にすっきりと決まっていて、しかも余裕がある。おそらく30代であろう比較的若い部類に属する彼らが、黒服スーツ姿で技術的にも音楽的にも易々と、しかも熱く演奏する姿は実にカッコ良く、強烈なジェラシーを感じた。東京に帰ったら
、ワタシも早くヴァイオリンを練習しなければと焦るのだった(笑)。ただしカール・フレッシュのスケールシステムからだが私の場合。つまりは音階練習である。明日はプラハ最終日。気楽に街中をぶらつこうと思う。ちなみに「アマデウス」の監督ミロシュ・フォアマンはチェコ人である。

プラハに着いて早6日。もっと早くに書くつもりでいたのが、時差の都合で朝は5時に目覚め、夜はすぐに眠くなってしまう。意識朦朧としたままでは何を書くか分からないという恐怖心から今まできたが、いい加減なんとかせねばならん!と簡単にでも書いてみようと決心した。それで本題だが、4日木曜日にはドヴォルジャークの生家を訪ねた。肉屋兼宿屋だったという生家は、プラハから車で小1時間の村で駅のすぐ近くだが、訪問者は私1人。こじんまりとした質素な家で、アーチ状の天井が美しい。ここであの大作曲家が生まれたのか!と床にひれ伏したい気分になった。一昨年、モーツァルトのプラハでの別荘ベルトラムカに初めて行った時にも感じたのだが、こうした場所には独特の気配があり、何故だか理解不能の感情に突然襲われ、落涙してしまう。これは自他共に認める泣かない人間である私としては、異例な事だがそうなのだ。別に悲しくてそうなるのではない。そこに存在していた人の姿が見えてしまい胸が一杯になる、と言うのが正しい。プラハという街もだが、歴史が古いという事
は、当然ながらそこに住んできた人間達の喜怒哀楽や情念が街に染み込んでいるという事を意味する。そしてその事をこれほどはっきりと分からせてくれた場所は、私にはチェコが初めてである。だからチェコでは随所に予想外の驚きがある。歴史が古い、というのはある意味恐ろしい事でもある。唐突だがとりあえず今日はここまでにして、続きは又後日に。ではお休みなさーい。

先日、いざプラハへ!と書いたばかりで恐縮だが、出発までやや時間があるので、今回の旅の予定について少しばかり触れてみようかと思う。それは、プラハから距離がある事もあり、今まで一度も訪れた事のなかったドヴォルジャークの生家に、今回は是非足を運びたい。ドヴォルジャークが鉄道マニアだった事は結構有名な話だが、聞くところによると生家の近くには鉄道が走っているらしい。そう、彼の鉄道オタク振りは筋金入りなのだ。今だったら所謂トリテツになってたに違いない、と私は確信する。そんな少年ドヴォルジャークの面影に生地で触れる事が出来るのかどうか、今から楽しみしている。アントニン・ドヴォルジャークという人は肉屋の長男に生まれ、店を継ぐ筈がヴァイオリンが得意だったために、援助してくれる人があり音楽学校に行く事になったのだった。さて次回こそはプラハからのご報告を、乞うご期待~!

9月2日からチェコの首都プラハへ撮影旅行に。8日間の滞在。れは来年5月のギャラリー冬青での個展に向けてのもので、一昨年、昨年に続き3度目の渡プラハとなる。前回のギャラリー冬青での展示「メフィストの調べ ~ブダペストから」は、私が20代の大半をヴァイオリン留学で過ごした街、ブダペストでの撮影だったが、ブダペストの後、ボヘミアの音楽の都プラハへと、自然と視線が向いたのだった。

チェコは昔から音楽が盛んで、そして弦の国でもある。交響曲「世界」のドヴォルジャークは、少年時代ヴァイオリンが得意で、人して暫くヴィオラ奏者として活躍していたし、スメタナもヴァイオリンを弾いた。数々の名演を遺したスメタナ・クァルテットは有名だが、他にも沢山の弦楽合奏団があり、層の厚さを感じさせる。そして生前のモーツァルトの音楽を誰よりも愛し理解したのは、ラハ市民であった事も忘れてはならない。1791年12月、モーツァルト急死の報を受け、どこよりも先にミサを上げたのは、プラハの聖ミクラーシュ教会であった。元ヴァイオリン奏者の大山がチェコの、それもプラハに惹かれたのは、そんなわけなのだった。メタナが言ったように「チェコ人の生命(いのち)は音楽の中にある」のである。
ちなみに日本でもよく歌われる「おお、牧場はみどり」
はチェコとスロヴァキアの民謡だそうだ。ではいざプラハへ!

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