オフィシャルサイト http://www.studio-view.jp/yokooyama/

2014年09月

プラハから戻り、ちんどん屋の音楽で目覚めてから10日が過ぎようとしている。全く早いものだ。お陰で時差ボケの頭もすっかり元に戻った。東京は気持ちの良い秋のシーズン。フィルム現像しやすい気温なのは誠に喜ばしいことだ。こうして涼しくなり空気も乾燥してくると、こちらの気も晴れ晴れとし、体調も上々。今月中に、フィルム現像とベタ焼きを是非とも終わらせたいと思う。コマ選びやプリント作業には時間も掛かることだし、余裕を持って取り組みたいのだ。 そして時折、脳裏に蘇る旅の断片、空気、匂い。過去と現在が交錯する瞬間。ボヘミアの残り香を身に纏う時…現像開始のベルが鳴る~。

来るまでは長く、来てしまえばあっという間、でもなかったが(笑)日は当たり前に過ぎ、今はヴァーツラフ・ハベル国際空港で搭乗待ち。昨日最終日には、著名なチェリストだったゼレンカが住んでいた建物や、ベートーベンが宿泊した元ホテルで今はアパートメント、そして3つのヴァイオリンの紋章のある建物などを見た。更にぶらぶら歩いていると、偶然ヨセフ・スデクのアトリエを発見!何やら写真展をやってるらしい。ブザーを押し開けて貰い、重い扉を押して中に入る。もう2つ3つの扉を開けて中庭に出るが誰もおらず、どちらに行けばいいのか…このまま外に出られなかったらどうしよう?と不吉な想像が頭をよぎる(笑)が無事、すぐ横にある小さな庭のあるアトリエに辿り着く。思っていたより質素なバラックのような2間ほどの家だった。スデクの展示は夏だけだそうで、残念ながら2週間前に終わってしまっていた。こんな風に思いがけず、興味あるものに行き当たってしまうのがこの街の面白いところ。又来たいものだ。ではヘルシンキ経由で東京へいざ行かん(?)

今日はいくつか地方の城巡りをしたけれど、室内は撮影禁止の場所ばかり…労多くして報いなし、という結果にムカついたので(笑)夜は弦楽室内楽のコンサートに行く。映画「アマデウス」の撮影に使われたという場所での演奏。弦楽四重奏は日本でも普通にあるが、ここプラハでは弦楽五重奏、つまりコントラバスが加わるのがユニーク。そしてバッハの「G線上のアリア」からスメタナの「モルダウ」、果てはベートーベン「運命」まで、何でも弦楽器5本で演奏してしまうところが凄い!そういう編曲がちゃんとあるわけで、さすが弦の国は違うのだ。今夜はプログラムにビバルディの「四季」が入っていたので、その時だけソリストが加わり6人の出演者となる。しかしチェコの演奏家はどうしてこうもさまになるのだろう!見てくれだけでなく、演奏の内容が実にすっきりと決まっていて、しかも余裕がある。おそらく30代であろう比較的若い部類に属する彼らが、黒服スーツ姿で技術的にも音楽的にも易々と、しかも熱く演奏する姿は実にカッコ良く、強烈なジェラシーを感じた。東京に帰ったら
、ワタシも早くヴァイオリンを練習しなければと焦るのだった(笑)。ただしカール・フレッシュのスケールシステムからだが私の場合。つまりは音階練習である。明日はプラハ最終日。気楽に街中をぶらつこうと思う。ちなみに「アマデウス」の監督ミロシュ・フォアマンはチェコ人である。

プラハに着いて早6日。もっと早くに書くつもりでいたのが、時差の都合で朝は5時に目覚め、夜はすぐに眠くなってしまう。意識朦朧としたままでは何を書くか分からないという恐怖心から今まできたが、いい加減なんとかせねばならん!と簡単にでも書いてみようと決心した。それで本題だが、4日木曜日にはドヴォルジャークの生家を訪ねた。肉屋兼宿屋だったという生家は、プラハから車で小1時間の村で駅のすぐ近くだが、訪問者は私1人。こじんまりとした質素な家で、アーチ状の天井が美しい。ここであの大作曲家が生まれたのか!と床にひれ伏したい気分になった。一昨年、モーツァルトのプラハでの別荘ベルトラムカに初めて行った時にも感じたのだが、こうした場所には独特の気配があり、何故だか理解不能の感情に突然襲われ、落涙してしまう。これは自他共に認める泣かない人間である私としては、異例な事だがそうなのだ。別に悲しくてそうなるのではない。そこに存在していた人の姿が見えてしまい胸が一杯になる、と言うのが正しい。プラハという街もだが、歴史が古いという事
は、当然ながらそこに住んできた人間達の喜怒哀楽や情念が街に染み込んでいるという事を意味する。そしてその事をこれほどはっきりと分からせてくれた場所は、私にはチェコが初めてである。だからチェコでは随所に予想外の驚きがある。歴史が古い、というのはある意味恐ろしい事でもある。唐突だがとりあえず今日はここまでにして、続きは又後日に。ではお休みなさーい。

先日、いざプラハへ!と書いたばかりで恐縮だが、出発までやや時間があるので、今回の旅の予定について少しばかり触れてみようかと思う。それは、プラハから距離がある事もあり、今まで一度も訪れた事のなかったドヴォルジャークの生家に、今回は是非足を運びたい。ドヴォルジャークが鉄道マニアだった事は結構有名な話だが、聞くところによると生家の近くには鉄道が走っているらしい。そう、彼の鉄道オタク振りは筋金入りなのだ。今だったら所謂トリテツになってたに違いない、と私は確信する。そんな少年ドヴォルジャークの面影に生地で触れる事が出来るのかどうか、今から楽しみしている。アントニン・ドヴォルジャークという人は肉屋の長男に生まれ、店を継ぐ筈がヴァイオリンが得意だったために、援助してくれる人があり音楽学校に行く事になったのだった。さて次回こそはプラハからのご報告を、乞うご期待~!

↑このページのトップヘ